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2011年6月

葉っぱの四季 フレディ

高校時代の友人が脚本を担当している劇団「キャトル・リーフ」さんの公演「葉っぱの四季 フレディ」を観て来ました。絵本「葉っぱのフレディ」を聖路加国際病院理事長の日野原重明先生が戯曲化したものを、キャトル・リーフさんが舞台化したものです。大変良かったです。キャトル・リーフさんは、普段は病院などに出張して、劇場に行けない人にミュージカルを届けるという活動をしているのですが、大掛かりな舞台装置に頼らない演出や、お年寄りから子供までわかりやすい構成、そして負担にならない上演時間を基本方針にしていて、その分丁寧で密度の濃い舞台を作られていました。金はかけない代わりに、工夫と情熱を注ぐというのは、とても素晴らしいことだと思います。

かつての同級生が、こういう真っ直ぐなモノ作りをしているというのは、とても嬉しく誇らしいことです。

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ペペロンチーノ

ペペロンチーノ
ペロペ…おっとペペロンチーノにハマってます。味付けや具をイロイロ自由に組み替えられるのが楽しい。ショートパスタで作り箸でつまみながら呑みます。

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猫齢を重ねる

歳をとると人間丸くなると言いますが、猫も加齢と共に性格が変わるようです。ピノコは歳をとってどんどん我侭になってきました。膝に乗っているのを下ろそうとすると、物凄くイヤそうな声で抗議します。そしてツメをがっしり立ててしがみついて来ます。対してスズは、若い頃のツンツンした感じが抜けて、素直に甘えてくるようになりました。

まぁどっちも可愛いんですが。

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失敗

暑くてウサギがダレてるので、涼感アルミプレートを購入。さっそくケージの中に敷く。腹ばいになって涼む姿を期待して見ていると、爪で激しく引っかきだしました。これがすごい音。エルム街の悪夢のフレディが黒板を引っかいている様な感じで、とても耐えられない。重くても大理石の方にすればよかったか。ここまで完全に失敗した買い物は久しぶりだなぁ。

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今週のゴラク

今週のゴラク
私立極道高校の続編が読めるとは。なんという俺得雑誌。たまらん。

どの作品も大変面白かったのですが、反骨の詩人土田世紀先生の「かぞく」が群を抜いて素晴らしかったです。内容自体も感動的なのですが、たった7ページでこれだけのものが描けるということに、ただただ感動しました。漫画はまだまだ奥が深い。

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分解と再構築 ~アニメ「Aチャンネル」論~

アニメ「Aチャンネル」は原作にかなり忠実に作られていますが、原作4コマ漫画一本一本を一旦分解し、順番を入れ替えて再構成しています。おおまかにはアバンタイトルに朝の描写が入り、オープニングの「モーニングアーチ」へつなぎ、一日の終了で1話が終わる構成になっています(例外の回もあります)。そうすることで、ともすると散漫な印象になりがちな4コマ一本一本のエピソードを「一日の出来事」として纏まりあるものにし、視聴後「ああ、今日も平和ないい一日だった」と感じさせてくれます。Aチャンネルの感想で「どこがいいのか判んないんだけど、観るとなんかホッとする」というのをよく見かけるのですが、それはこの分解と再構築が大きく影響していると思います。

また、BDの特典映像に、原作の4コマの一本を、コマの順番を逆さまにしても成立するようにセリフを書き直すということを3人の声優さんにさせている映像があるのですが、これが3人とも別の内容でありながら、ちゃんと4コマ漫画として成立しているものを作っているのが大変興味深かったです。

物語の要素を、語る順番を入れ替えることで、意味合いや受ける印象を操作することをモンタージュ理論と言います。

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この画像は、今から20年前にNHK教育で放送された、里中満智子先生の少女漫画教室のテキストから抜粋したものです。モンタージュ理論の具体例が描かれています。私は当時高校生だったのですが、目からウロコが落ちました。それまではなんとなく感覚だけで物語を考えていたのですが、理論立てて物語を構築するということを考えるようになりました。

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ブラック・スワン

我が愛しのナタリー=ポートマンちゃんが主役というだけで、勝手にテンションが上がっていたのですが、観た人の評価が軒並み高かったので期待して観ました。

ゲロ吐きました。

風邪をひいて体調が悪かったせいもあるのですが、観ていて物凄く胃に来ました。これは、あまりにも主人公に感情移入しすぎたせいだと思います。映画自体は大変面白いものでした。

何かを得たから美しいのではない。何かを得る過程で何かを失うから美しいのだ。醜く歪み、人でないものへ変貌して初めてつかめる境地。そこに唯一無二の美がある。

自分は何を捨てて、何を捨てられないで生きてきたのか。そういうことを考えさせられました。

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椅子がー

パソコンデスク用のイスが壊れました。というか軸が折れました。安物だったのですが、大きくゆったりした座り心地で気に入っていたのですが、寿命のようです。そういえば10年以上使ってたんですよね。ネコの爪とぎにされてボロボロです。お疲れ様でした。

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ペロペロ

ウサギのきなこが最近私の手をよくペロペロします。猫と違って滑らかな小さい舌でペロペロされるのはとても気持ちいいです。あったかい気持ちになります。

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時にはパズルのように

今週のチャンピオンのブラックジャック創作秘話でまたも手塚先生の化物ぶりが描かれていました。

手塚先生ほどではありませんが、私も何を描いたか、手持ちの資料がどこにあるかが、ある程度頭に入っています。時間があるなら、ネームを描いてから必要な背景資料を集めたり取材に行ったり出来ますが、時間が無くそれが出来ない時は、手持ちの資料だけで話を組み立てることがあります。さらに、その週来てくれるアシスタントの戦力から逆算して画面を構成することがあります。描きたいものを描きたい様に描くわけではありません。「間に合わせる」「一定の水準を保つ」ということを連載で続けるということは、そういう総合マネジメントをするということでもあります。漫画家は時にパズラーにならなければならない。

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誕生

青森に住んでいる弟夫婦に初めての赤ちゃんが生まれました。元気な男の子です。

地震をはじめ、世の中は気の滅入る話ばかりですが、こうして新しい命が生まれるというのは、とてもすがすがしく、心に薫風が吹いたような気持ちになります。かみさまが「まだ生まれていいよ」と言ってくれているような。そして、少しでもいい世の中にしないとという気持ちにもなります。

しかし、あの弟が「おとうさん」になるとは…今年の夏の帰省で会えるのを楽しみにしています。

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ちゃんと描いてますからっ!

ちゃんと描いてますからっ!
星里先生の新刊です。漫画家漫画はイロイロ出てますが、描かない父親の代わりに二人の娘が原稿を描くという、星里先生らしいユニークな物語です。大変面白いとともに身につまされました。

「わずかいっちょまえ」で描かれたような「大人の都合に振り回される子供たちの健気さ」がテーマですが、不覚にも原稿を描かないで逃げ回っているお父さんの方に感情移入してしまいました。そりゃ自分ソックリの絵を可愛い娘たちが描いてくれるなら描かなくなりますわ。その一方で娘の描いた絵が評価されると絵描きとして嫉妬してしまう…漫画家ってホントに性根がガキなんですね。締め切りに向けて頑張って描くのも、大人の責任感より、ガキの意地の方が強いと思います。

しかし、漫画家の家族というのはこんなにも生活基盤に不安を感じているものなのかと反省。生活への不安からお父さんの仕事を手伝うとか、まだほのぼの出来ますけど、援助交際とかされたら目も当てられません。

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安部先生の思い出

今年のチャンピオン新年会でのことなんですが、安部先生の隣の席で軽く談笑していたとき、安部先生の持つお皿から料理がちょっと先生の膝に落ちたんですね。(立食タイプだったので椅子しかなく、料理を置けなかった)

どうするのかなーと思って見ていたら、おもむろにズボンのポケットからポケットティッシュを取り出して拭きはじめたんですね。

「えっっっこの人ポケットティッシュ常備してる!すごいマメな人だ!!」と妙に感心すると共に、ハンカチもティッシュも持ち歩かない自分は、30代としてどうなのだろうかと反省。

しかし、そのティッシュを取り出す仕草の自然さとか、ティッシュも入れっぱなしでクタクタになった広告付きのヤツじゃなく、綺麗な「買ったもの」だったのが素晴らしかったです。やはり作家の性格は作品に反映されるなと思いました。そして私もハンカチを買いました。

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まんが甲子園

テレビでまんが甲子園のドキュメンタリーをやっていました。懐かしい。私の母校青森東高校は、この第一回大会に本戦出場し、決勝まで残ったことがあります。その年、私は高校を休学して東京で働きながら持ち込みをしていたのですが、地区予選はお題イラストと過去の部誌を提出することになっていたので、間接的に参加したことになります。本戦に出場した部員の皆が、高知から電話してきてくれたのを思い出しました。

まんが甲子園というのは、毎年高知県で開催されます。球児ならぬペン児が5人1チームで、出されたお題をテーマに一枚の作品を規定時間内に仕上げ、その出来を競うというものです。

観ていてペン児たちの、「描く」ということに対するひたむきさ真っ直ぐさに胸打たれました。そして、習い性と惰力で描き続けている今の自分を恥じました。大人は生きるためにしなければならないこと、考えなければならないことが沢山あります。描く事だけに己の持てるもの全てを注げるというのは、まぶしく、羨ましくもあります。

実在しない大食いの甲子園の漫画があるんだから、まんが甲子園の漫画があってもいいよなー。誰も描かないなら私が描こうかな。

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