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2016年2月

アーモンド

黒木渚さんという方の曲で「アーモンド」というのが最近ラジオでよくかかり、「大予言」などから気になっていたのですが、久々にシンガーソングライター単体で惚れこんでしまいました。
"首に腫瘍のあるハトは 今日も時計台の下にいる"
という強烈な歌い出しの歌詞は、とても研ぎ澄まされていて、研磨を重ねた米から作られた一滴の大吟醸のようです。
昔から、歌詞に感動したり感銘を受けたりすることが多く、私の日本語の先生は中島みゆきさんと言っても過言ではないくらいなのですが、今は気になるアーティストや歌詞があったら、すぐに検索でき、PVが公式で発表されているのでいい時代になったと思います。
昔は、町のリサイクルショップの店頭のラジカセで一度聞いただけの曲をいつまでも覚えていて、断片の歌詞だけを頼りに本屋で探してレコード屋で探して図書館で探して…3年後にそれがみゆきさんの「御機嫌如何」という曲だと判った時は、本当に何か宝物にたどり着いたような感じがしました。
そういう思いをして何かに辿り着くということが無い、欲しいと思う前に、焦がれる前に全てをお膳立てされるというのは、楽で便利な反面、何か「生きる意欲」を奪っているようにも感じます。自分の体で掴み取ったものだけが血肉になる。

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火に手をかざす

この時期、お湯を沸かしたりしていると台所の寒さから、ついコンロの上に手をかざしてしまうのですが、ソデの長いものを着ていると、引火しそうで危ない。そして、その度に思い出される人と事件があります。
10年以上前だと思うのですが、大晦日の夜、1人暮らしお年寄りの女性が、カップそばを作ろうとして半纏に引火して焼死するという事件がありました。1人で迎えるお正月。せめてもの年越しにそばを作ろうとして引火した…のかもしれません。
20歳の頃、アシスタントをしていた頃に住んでいた木造のアパートの隣には年配の女性が独りで住んでいたのですが、この方が夜中に度々奇声を上げたりする人で、何度か話しかけたり挨拶してみたのですが、こちらの意図が通じていないと言うか、意志の疎通のようなものはほとんど出来ませんでした。旦那さんが入院している、その間だけここに住んで待っているというようなことを言っていたのですが、それも真偽は判りませんでした。
なにしろ隣で死なれたり火事を起こされても困るので、度々隣の様子を台所の小さく開けられていた窓から伺ったりしていたのですが、その台所にカップ麺の空き容器が沢山積まれていました。何かの容器に洗って残しておくというのは判るのですが、とうてい一人暮らしでは使い切れないような量が積まれているのを見て、なにか触れてはいけない部分を見てしまったような感じがしました。
私がそのアパートにいたのは2年間くらいなので、その後隣の女性がどうなったかは判りません。
ただ今まで覚えていたということは、この名も知らぬ隣人の事を、きっと今後も忘れないだろうと思います。そして、私のことも誰かが、私の想像も付かないような赤の他人が、私のことを覚え続けてくれているかもしれない。もしそうならば、孤独死しても孤独ではないような気がするのです。

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《クリード》―チャンプを継ぐ男―

少し前になるのですが映画『クリード』観てきました。「ロッキーシリーズの最新作にして、新たな伝説の始まり!!」と評判が良かったので期待して行きましたが、期待以上に大変面白かったです。
以下、少しネタバレを含みます。
ロッキーのライバルにして親友だったアポロ・クリードには隠し子がいました。名はアドニス。
父アポロはリングで死に、実母も幼くして死んだアドニスは施設を転々としては暴力沙汰を起こしていますが、アポロの本妻メアリーが彼を引き取ります。恵まれた家で高い教育を受け、いい会社に就職し、若くして昇進もするような何不自由ない生活を送っていたアドニスはある日突然仕事を辞め、メアリーの家を離れ、ボクサーを目指します。そしてかつての父のライバルであり親友だったロッキーに教えを請います。引退して完全に「街のレストランのジジイ」になっていたロッキーは始めは断るのですが、アドニスのしつこいくらいの情熱と、彼の中の才能、あるいは「血」に気付き指導を始めます。
私は丁度アドニスとロッキーの中間の世代なのですが、それでもどちらかと言うと年老いたロッキーの方の感情移入して観ていました。物語の途中、ロッキーはガンが見つかるのですが治療を拒否します。妻や友人、愛する者たちは皆死んで自分だけが残った今、延命して何になる、もう自分の人生は「あがり」でいい。という感覚はわかります。しかし、そんなロッキーに「俺も闘うからあんたも闘ってくれ!」と言うアドニスの気持ちもよく判ります。あんたは「あがり」かもしれないけど俺は「はじまり」なんだよ!という思い。病室で治療を受けるロッキーの隣で筋トレやシャドーをするアドニス。その姿は、ありえたかもしれない父と息子の姿のようでした。
アドニスは、生まれは色々ありつつも、恵まれた環境で恵まれた生活を送り、一人暮らしを始めてもすぐに恋人が出来るくらいの男なので、普通に暮らしていれば普通以上の幸せは約束されていたはずです。そんな彼がなぜわざわざボクサーという茨の道を選ぶのか。ラストの試合で苦境に立たされたアドニスにロッキーは問います「何のために闘う?」とアドニスは答えます「俺は過ちじゃない!」と。
闘わねばならない。どんなに恵まれていても、どんなに不遇でも、自分と言う存在を世界に示すためには、何人も闘わねばならない。アドニスとロッキー。ボクシングと病魔と闘う二人の闘士の姿に、強く励まされました。

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5分

小雨の降る中、ショコラを見送りました。葬儀屋さんがクララの時と同じ方が、この短期間に二度同じ家に来て頂くことになりましたが、変わらず丁寧に対応して頂きました。
焼き上がりの炉の中の匂いは、太陽の匂いがして、窓際で日向ぼっこをするのが好きだったショコラはいつもこの匂いがしていました。
猫でも人でも、亡くなってから「5分でいいから話したい」「あと5分抱きしめたい」と思ったりするものですが、その「5分」は生きている、この今だけのものなのです。明日その「5分」があるとは限らない。だからたかが5分と思わず、今この時を大事にしていきたいと思います。
写真は小春と(珍しく)仲良く寝ていたときのものです。
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