日記・コラム・つぶやき

車内プロファイル

片側3車線の大きい国道を車で移動中。右側の車線が切れて2車線になる所で黒の「AQUA」が合流できないでいたので、速度を落として合図を送りました。が、出ない。停車し再度合図を送ってようやく合流。こういう場合譲られた方はハザードでお礼の合図を送るのですが、それは無く、助手席の人影がこちらを振り向くのが見えました。
ここで前方の車に乗っている人を推理してみました。平日の昼、よく磨かれた黒の「AQUA」。合流に戸惑っていたのとハザードを出さなかったので運転者は初心者か女性。しかし初心者マークは無いので恐らく主婦で助手席は子供。母親が後ろの私が譲ったことを言って子供が振り返ったのでしょう。大人はそれぐらいのことではわざわざ振り返らない。
車は少し走って右折レーンに入って止まったので追い抜きがてらにチラ見したら予想通りでした。
こういう推理はある程度運転経験がある方なら、誰でも出来ると思います。しかし、こういう推理はコンピューターはとても苦手と聞きます。自動運転の実用化が現実になりつつありますが、やはりこういう経験と勘による判断を必要とする部分はどうしても難しいのかと思います。
完全な自動運転社会と言うのは、完全ゆえに一度瓦解したら大惨事になりかねません。それでも、歩行者や信号と言う要素の少ない長距離の高速道路などではドライバーの助けになって欲しいとも思います。

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アーモンド

黒木渚さんという方の曲で「アーモンド」というのが最近ラジオでよくかかり、「大予言」などから気になっていたのですが、久々にシンガーソングライター単体で惚れこんでしまいました。
"首に腫瘍のあるハトは 今日も時計台の下にいる"
という強烈な歌い出しの歌詞は、とても研ぎ澄まされていて、研磨を重ねた米から作られた一滴の大吟醸のようです。
昔から、歌詞に感動したり感銘を受けたりすることが多く、私の日本語の先生は中島みゆきさんと言っても過言ではないくらいなのですが、今は気になるアーティストや歌詞があったら、すぐに検索でき、PVが公式で発表されているのでいい時代になったと思います。
昔は、町のリサイクルショップの店頭のラジカセで一度聞いただけの曲をいつまでも覚えていて、断片の歌詞だけを頼りに本屋で探してレコード屋で探して図書館で探して…3年後にそれがみゆきさんの「御機嫌如何」という曲だと判った時は、本当に何か宝物にたどり着いたような感じがしました。
そういう思いをして何かに辿り着くということが無い、欲しいと思う前に、焦がれる前に全てをお膳立てされるというのは、楽で便利な反面、何か「生きる意欲」を奪っているようにも感じます。自分の体で掴み取ったものだけが血肉になる。

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火に手をかざす

この時期、お湯を沸かしたりしていると台所の寒さから、ついコンロの上に手をかざしてしまうのですが、ソデの長いものを着ていると、引火しそうで危ない。そして、その度に思い出される人と事件があります。
10年以上前だと思うのですが、大晦日の夜、1人暮らしお年寄りの女性が、カップそばを作ろうとして半纏に引火して焼死するという事件がありました。1人で迎えるお正月。せめてもの年越しにそばを作ろうとして引火した…のかもしれません。
20歳の頃、アシスタントをしていた頃に住んでいた木造のアパートの隣には年配の女性が独りで住んでいたのですが、この方が夜中に度々奇声を上げたりする人で、何度か話しかけたり挨拶してみたのですが、こちらの意図が通じていないと言うか、意志の疎通のようなものはほとんど出来ませんでした。旦那さんが入院している、その間だけここに住んで待っているというようなことを言っていたのですが、それも真偽は判りませんでした。
なにしろ隣で死なれたり火事を起こされても困るので、度々隣の様子を台所の小さく開けられていた窓から伺ったりしていたのですが、その台所にカップ麺の空き容器が沢山積まれていました。何かの容器に洗って残しておくというのは判るのですが、とうてい一人暮らしでは使い切れないような量が積まれているのを見て、なにか触れてはいけない部分を見てしまったような感じがしました。
私がそのアパートにいたのは2年間くらいなので、その後隣の女性がどうなったかは判りません。
ただ今まで覚えていたということは、この名も知らぬ隣人の事を、きっと今後も忘れないだろうと思います。そして、私のことも誰かが、私の想像も付かないような赤の他人が、私のことを覚え続けてくれているかもしれない。もしそうならば、孤独死しても孤独ではないような気がするのです。

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視る目

朝、家族を駅まで車で送った帰りに、右折しようとしたら対向車線を高校生が自転車で走ってきました。急いで右折すれば十分間に合う距離だったのですが、高校生は急いでいた感じだったのと、私の後続がいなかったので、待つことにしました。そうしたら高校生はこっちに会釈をしながら通過しました。

たったそれだけのことなのですが、それだけで「今日も一日頑張るぞい」という気持ちになります。
車内と車外は、基本的に言葉が届かないので、挙動だけで相手にこっちの意思を伝えなければいけません。「私はあなたを視ています。確認しています。」という意思を。

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キュウリ二本

コンビニにメール便を出しにいく途中で、おじいさんが電動カートに乗っていたのですが、長くビニールの紐を引きずっていて、見ると車軸に絡んでいる。おじいさんは気付いていない。さすがに危ないので呼び止め、取ろうとしたのですが、絡んでなかなか取れない。すると「これで切ってくれ」と錆だらけの鎌を差し出すおじいさん。どうにか鎌で切って取り除いたらお礼にキュウリを二本頂きました。畑に収穫に行った帰りだったようです。ほどほどに田舎なのでこういうこともあります。

小学生のころ、北海道に住んでいて、父と二人で初詣に行ったことがあったのですが、帰り道で雪でスタックしている車があって、父は迷わずその車を押してあげていました。「困っている人は助けなさい」ということを言われた事は無いのですが、その車を押す背中は強く心に残っています。

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カップル

朝、家族を駅まで送る途中で、決まった場所で必ずすれ違う登校中の高校生カップルがいます。男の子は背が高く、ちょっともっさりした感じ。女の子は小柄で可愛い。そして男の子の方が必ず何か食べている。パンだったりコンビニの冷やし麺だったり、今朝はコンビニのカップサラダをもりもり食べていました。
歩きながら食べると言うのは行儀が悪いとも言えますが、不思議と不快感は無く、田んぼの隣の道を楽しそうに歩く姿は微笑ましく映ります。

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絵描きイップス

先週、伊集院さんがラジオでイップスの話をしていて、絵描きにもイップスがあるなぁと思いました。
急に思い通りの絵が描けなくなる。直しても直しても絵に納得が出来ない。絵を描かれている方なら思い当たることと思います。
そんな方に、私なりのイップス対処法をお伝えしたいと思います。あくまで「対処法」であり「治療法」「予防法」でないのですが…

・対処法1「描き直す」
目だけ描き直したり腕だけ描き直したりと、部分だけ直していると福笑い状態になってしまうことがあります。絵は相互作用するものなので、一部だけ直して済むというケースは、実は少ないです。白い紙に1からアタリを取り直したほうがいいです。

・対処法2「別の構図、ポーズにする」
これは漫画に関してなのですが、漫画は「この構図でなければならない」というケースは実は少なく、別の構図にしても問題ない場合がほとんどです。横顔でもいい。後頭部でもいい。目から上をフレームアウトしてもいい。なんならそのコマを空にして鳥でも飛ばしておけばいいのです。

・対処法3「昔の自分に頼る」
昔自分が描いた絵の中で、今見てもまあまあ良く描けてると思えるものがあると思います。それをトレースしましょう。自分が描いたものなので著作権的な問題はありません。そして、絶対同じ絵にはならないです。

・対処法4「尊敬する人に頼る」
手塚先生が深夜、アシスタントの仕事場に来て、ディズニーのバンビをトレースしていたというエピソードがありますが、あれだけの人でも、線の不調をディズニーの線をなぞることで調整していたのです。発表しなければ他人の絵のトレースは、いくらしても罪になりません。

あくまで対処法でしかないのですが、何かのヒントになれば幸いです。

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トイレ掃除

引っ越して以来、毎日猫とウサギのトイレ掃除を、外のカーポートでしているのですが、夏は朝やっていたのですが、最近は昼にやってます。それでも今日のような雪の日はなかなかに厳しいので、ゴム手袋を導入しました。

毎日やって大変ですね。と言われる事もあるのですが、そういう意識は薄く、自分が毎日トイレに行くのを苦と感じないくらいに「当たり前のこと」になってます。

でも、「当たり前」ではいけないのかなと最近思います。食べる。排泄する。これが滞りなく出来るのは当たり前のようで当たり前ではないのです。毎日トイレ掃除の度に「今日も健康に排泄してくれた」と思わねば。

いつか、どちらも出来なくなる日が来るのだから。

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怖い話

伊集院さんの昔の放送の録音を聞いてて、空脳のコーナーでちょっとゾクッとしたお話。

【要約】小学生の頃、学校の行事にいつもついて来るおじさんがいた。遠足、運動会、修学旅行、いつもいる教師ではないそのおじさんのことを「菅原さん」と認識し、先生もクラスの同級生も菅原さんの存在に何の疑問も持ってないようなので、そういうものとして過ごしていた。時は流れ二十歳になり同窓会で「そういえば菅原さんていたよね~」と話を振ると、先生も皆も「誰それ?」「知らない」と言う。その場にあった卒業アルバムにたまたま菅原さんが映っていたので「この人この人」と言うと、先生も皆も「これお前のオヤジじゃん」と笑う。しかし投稿者の父親は全く別の人だし、健在だし、両親に離婚歴も無い。

これ、つまり全く身元の判らないおじさんが、小学校の行事にずっと付きまとっていたという話なんですね。ある生徒の父親として。そしてその生徒本人は「菅原さん」と認識していた。現在の学校は部外者の出入りに厳しいのでありえない話なのですが、昔はゆるかったのでこういう事が起こりえたのでしょう。

心霊系の話より、こういう生身の人間の起こす不可解な事件の方がビンビン来ます。

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ネット

私がインターネットを始めたのは、1999年でした。ToHeartのPS版にハマって、PC版をやりたくてパソコンを買ったのがきっかけです。もう14年以上やっていることになります。14年でネットの世界は進化拡大し、様々なことがありました。中でも、漫画家という職業の自分にとって、読者の生の声と接することが出来ることになったのは、大きな意識の変化を余儀無くされました。

沢山の「時間の無駄遣い」をしたように思います。そして、目に見え難い「感情の無駄遣い」をしてきました。

では、無駄は全く意味が無く、価値の無いものかと言うと、それも違うと思います。無駄の中にお宝があるという言葉もあるように、無駄の中からしか生まれないものは多いと思います。

大切なのは、付き合い方、距離の取り方だというのが最近の結論です。雨や陽射しが時に有益で時に有害なように、ネットの向こうにいるであろう人たちも、気象や天災のように考えれば、余計な感情の浪費は無くなるのではないでしょうか。

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